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さらにこちらでは
そんな僕のレーサーライフに転換期が訪れたのは、
サッカー少年団を通じて隣町のM小学校の柳下君と交流ができた頃だ。M小にもやはりミニ四駆文化があり、僕らは仲良くなるにつれて
自然とミニ四駆の話をするようになった。僕が自明なことのように「空気抵抗はフルカウルのほうが少ないから〜」
なんて口にしたとき、頭に?マークを浮かべながら、柳下が言った。
「フルカウルよりも大径タイヤのスーパーミニ四駆のほうが常に速いよ」それを聞いて頭に?マークを浮かべる僕。
他にも「どんなコースでも常にトルクチューンモーターが速い」
「シャフトを外して二輪駆動にしたほうが速い」など、
柳下の理論はよく知られた「常識」とは異なるものだった。
ちょうどデパートで開催されていたレースがあって、
そこで僕らは互いのプライドを賭けて勝負することになった。結果はというと、柳下のタイヤむき出しのアバンテ2001Jr.に
僕のソニックセイバー(限定金メッキボディ)は惨敗した。結局、M小の技術は弊校よりもずっと進んでいて、
僕は井の中の蛙であったことを思い知らされた。
柳下のアバンテにはウイングが付いていなかった。
「なくしたの?」と聞くと「あんなの飾りです」と柳下は言う。ミニ四駆漫画であれだけダウンフォースが云々と言っている中で、
柳下は空気抵抗なんてものを全く信じていなかった。
理由を聞くと「走らせてみて、違いがわからないから」と。走らせてみないとわからない。
あまりにも真っ当な理屈だが、当時の僕には
コロコロコミックを疑うという発想自体がなかった。ピンバイスを使わずにカッターを熱してボディの肉抜きをする者、
ドラゴンなんたらとかいう非公式の爆速モーターを購入する者のことを
「まちがった改造」をしているとみなして、無条件で見下していた。「改造」という言葉にえも言われぬ自由さを感じていながら、
実際には誰かの描いたシナリオの中で泳がされているだけだったのだ。
無印良品の設立当初、田中一光は「簡素が豪華に引け目を感ずることなく、その簡素の中に秘めた知性なり感性なりがむしろ誇りに思える世界、そういった価値体系を拡めることができれば少ない資源で生活を豊かにする事ができる」と無印への思いを語ったという。過度な装飾に対する価値観のパラダイムシフトを意図していた。
深澤直人とジャスパーモリスンが行っているSuperNormalも、日常生活にある何でもないものを美しいと再定義し、ナガオカケンメイのD&Departmentも、ディスコン寸前の製品をロングライフデザインとして意味あるものに再定義する。少し前に戻れば、柳宗悦の民芸活動も日用品に美を見出す運動だ。いずれも日常の中に新たな解釈の視座を与えるなどパラダイムシフトを志向している。
”人々に受けいられる美”を作り出すのも、クリエーターの役目だが、”人々が受け入れるべき美が何であるか”を明言するのもクリエーターの役目だ。人々の価値観をも左右することを踏まえ、正しい倫理感をもって、クリエイティブを追求していきたい。
太宰治、夏目漱石、森鴎外、永井荷風……やっぱり大作家っていうのは一行目から来ますね。けっこうわかりにくい話からはじまるんですよ。でも、それがね、「こういうむずかしい話からはじめるのは、『その他大勢』を追っ払って、君と二人だけでインティメイトな会話がしたいからだよ」っていうふうに聞こえるんですよ。
「楽しいことをする」のではなく、「することを楽しむ」と、禅では発想する。楽しみ、遊んでいる時間は因果で未来につなげる必要がないから、「因果に落ちず」と云われるのである。
